update:2024/03

ぐいのみ紀行

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ぐい呑み 土器が800度ならば焼き締めとは、さらに温度を上げ1200度または
それ以上で焼成するものだ。釉薬をかけずに焼き締めることで土器
より硬度や耐久性が増し、土器の性質も失わず、通気性や多孔性
が温存される。師匠のナビゲートにより、焼き締め「ぐいのみ」から
蒐集が始まる。写真は最初に購入した唐津焼き締め。【¥500】

酒   器 ぐい呑み備前、徳利唐津という話を聞いた。焼き締めも知らない頃
備前焼きが焼き締めの代表だと知る。唐津の徳利から備前のぐいの
みへと酒を注ぐ。写真は朝鮮唐津徳利、鉄釉の上部に藁灰の釉薬を
かけ焼成することで、流れの妙を表現する。【¥2500】

湯呑・茶器 湯呑みは日常食器としての基本である。価格もぐいのみ並みである。
時にはサービス品として窯出し展で頂戴することもある。湯呑みに比
べると、同じお茶でも抹茶を愉しむ道具は二桁違って高価である。
どうやら箱書きにその秘密があるようだ。ただの飯碗で終わるかどう
かの血統書と思われる。焼き締め土瓶【¥8000】

食   器 二寸の豆皿から用途に応じて皿のサイズ、深さが異なる。湯呑みと
並んで日用雑器の代表である。焼き締めは酒や茶をのむ限りのもの
と考えている。食物の脂や滓が付着する器は釉薬を施した陶器か
磁器が望ましい。ときに簡単な絵があっても容認できる。
唐津3寸皿【¥300】

花   器 花なら花壇のものを観るくらいで十分と思ってはいても、殺風景な
室内へと、野山の出前は気が利いている。焼き締めの花器は花の
鮮やかさ葉の明るさを生かし、草花の命も永らえることが出来る。
焼き締め花器【戴物】

そ の 他

必需品ではないが、高度な技術と遊び心が要求される。産業として
の陶芸か、芸術としての陶芸かの分岐点でもある。日用雑器は焼か
ないという陶芸家もいるが、日用雑器を焼いてこそ、という陶芸家も...
焼き締め香炉【¥10000】

逍 遥 遊

随時更新

日頃室内に籠もってばかりの仕事。休みになれば...もし1週間の休暇
があれば...仕事を廃業したら...等々空想だけは無限に増長する。
その実、1日の休暇すら満足に過ごせない。休暇や自由は観念の
中でこそ悠然たるもの。

     

     

     

とりあえず用の足せる「ぐいのみ」は100Yenショップでも入手できる。コップも湯呑みも、花器やその他の食器も例外ではない。用が足せれば十分だ...衣食足りてこそ可能なものが趣味の世界である。費用や手間はかかるが、作り手の顔の見える器は窯元へと出向いてこそ得られる。趣味や蒐集に高額な金を投じる余裕はないが、幸い「ぐいのみ」は1000円台の出費で購入できるし作家の拘りや技術が反映する。酒を嗜む陶芸家の作品は酒への愛着がにじみ出て、酒と器が同時に愉しめる。1000円の器にも10000円の器にも作者の注ぐ思いは変わらないだろう。価格の違いで優劣を決することは避けたいが、使う者の好みや利便は価格や作者の思いと異なる事がある。

私の窯元巡りの師匠(複数)は「陶器に絵は要らぬ」、「土と炎に拘らずして陶芸家に在らず」と言う。磁器と異なり陶器はその素材に絵(景色)がある。土と炎の芸術ならば、土を探し、薪の炎で焼いてこそ陶芸家ではないか。この原則に沿い「薪で焼いたもの」「絵が描かれていないもの」を可能な限り求めた。しかし、物が貯まるのは必ずしも好ましいことではない。正直なところ、今ではお金を払って物を集める趣味をいささか恥じている。「無一物無尽蔵」、物への囚われを放つことで心が豊かになるのではないか。

【注1】次元の低い鑑賞法かも知れないが、値段は目安として記憶の限り記しています。
【注2】価格などに変動があるため窯元は明らかにしません。お問い合わせにはお答えします。 
【注3】使用の満足度を
三段階で記しています。

 

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